はじめまして。
「自己犠牲を卒業して魂のままに生きる。私を生きるための”魂の自己受容”メソッド」を
お伝えしております、カウンセラーの myu と申します。
現在は、自分より他人を優先してしまう方、理由のない不安を抱えている方、
愛されるためには頑張らないといけないと感じている方、
自分を生きている感覚が持てない方に対して、
なぜ今、そのような状態なのかをご自身と一緒に紐解きながら、
本来の自分の感覚を取り戻し、安心感の中で生きるためのサポートを行っています。
私はこれまで、自分よりも他人を優先することが正しいと信じ、
「我慢すること」が当たり前の人生を生きてきました。
親や周りの顔色を伺い、自分の気持ちはいつも後回し…。
本当の自分がわからないまま、理由のない不安や空虚感に苦しみ続けていました。
穏やかに過ごしたいと願いながらも、頑張れば頑張るほど違和感が大きくなり、
心の中でもがいていた時期は本当に苦しかったです。
しかし、自分の心と向き合い、本当の気持ちに気づき、受け入れていくことで、
少しずつ安心感を感じられるようになり、本来の自分で生きる感覚を取り戻していきました。
そんな経験を通して、過去の私と同じように、自分を後回しにしてしまう方や、
生きづらさを感じている方へ向けて、カウンセリングセッションを提供しています。
カウンセリングセッションは、あなたとカウンセラーが一緒に進めていくものです。
一人で抱え込まず、安心できる関係の中で、少しずつ自分を知っていく時間です。
だからこそ、「この人なら話してもいいかもしれない」
そう感じられるかどうかが、とても大切だと思っています。
これから、私のこれまでの歩みをお伝えしていきます。
少しでもあなたの心に触れるものがあれば、嬉しいです。
もくじ
- 1. 安心できない家で、感情を閉ざしていった幼少期
- 2. 怒鳴り声の中で息を止め、喘息に追い詰められていった私
- 3. 「愛」を教えられながら、愛されないと感じていた中学生時代
- 4. 期待に応えるほど孤独になり、「自己犠牲」が正義になった高校時代
- 5. 本音を飲み込み ”いい社員” を演じて、体が止まった私
- 6. 相手が変わっても終わらない、自己犠牲の恋愛ループ
- 7. 犬と生きる道を選んだのに、逃げた先でも自分からは逃れられなかった
- 8. 限界を超えても止まれなかった私に、過呼吸が襲った日
- 9. パニック発作の恐怖に支配されながらも 、「大丈夫」と言い聞かせ続けていた私
- 10.「薬でも良くならない」――限界の私がすがった”最後の選択”
- 11.「本当は助けてほしかった」――その一言で、信じてきた思考は崩れた
- 12.「愛=我慢」を終わらせ、本当の愛に気づいた時人生は静かに、でも確かに整いはじめた
- 13. あなたが”あなたのまま”で生きるために――その一歩に寄り添います
安心できない家で、感情を閉ざしていった幼少期
私は、一見するとどこにでもあるような家庭で育ちました。
特別に問題があるようには見えない、ごく普通の家族。
けれどその家の中には、子どもながらに感じ取っていた
「言葉にできない重たい空気」と「息苦しさ」があったのです。
家の中で一番大きな影響力を持っていたのは、父の機嫌でした。
父は世間体を大事にし、自分が一番正しいという強い考えを持っていたため、
母との意見が少しでも食い違うと、突然 怒鳴り、口をきかなくなることがありました。
家の中に流れる、重く張りつめた空気。
母は何も言えず、ただ静かにその場にいる。
私はその場で固まり、動けなくなっていました。
子どもながらに感じていたのは、
「意見を言ってはいけない」 「感情を出してはいけない」 ということ。
もしそれをしてしまえば、怖いことが起こる。
そう感じていました。
「怒ること=人が傷つく」
「機嫌を悪くしてしまう=自分の居場所がなくなる」
そんな価値観を持つきっかけになったのかもしれません。
自分の気持ちを出すことよりも、空気を乱さないことの方が大切。
そうやって私は、少しずつ「自分」を抑えることを覚えていきました。
本当は、甘えたかった。
もっとそばにいてほしかったし、私の気持ちも聞いてほしかった。
けれど私は、空気を乱さない「いい子」でいようとしていたのです。
怒鳴り声の中で息を止め、
喘息に追い詰められていった私
私がそんなふうに過ごしていた一方で、
母は、熱心に一つの宗教を信仰していました。
とても不安感が強く、
「何が正しいのかを知りたい」という思いを持っていたようでした。
母は、
「この世の中で、この教えだけが “真理” だ」
「この本に書かれていることは、すべて正しい」
と言い、私にその宗教の学びを教えはじめました。
そして、家族のことよりも、学びや他の人たちへの奉仕活動を優先していました。
さらに母は、宗教の集まりに参加することを父に反対され、
「集まりに子どもを連れて行くのなら、学校の教科書は全部焼き捨てるぞ!」
と怒鳴られ、口をきいてもらえない日が続くこともありました。
その姿を見て、私は
「せめて自分だけは、父を怒らせないようにしよう」
そう思っていたのだと思います。
でも現実には、父に何か言えるわけでもなく、母をかばうこともできず、
何もできない私。
そこには、どうしようもない無力感がありました。
そしてこの頃の私は、小児喘息を患っていて、
夜になると発作が出ることがよくありました。
横になると息が苦しくなるため、布団に座り、
丸めた布団にうつ伏せになるような姿勢で、夜を過ごしていました。
静かな夜の中で、一人、息ができない苦しさを抱えている時間。
それはまるで、
自分の気持ちを押し込めている感覚と、どこか重なっていたように思います。
本当は苦しかったはずなのに、
その頃を振り返り、気持ちを思い出そうとしても、
うまく感じることができない。
まるで心が固まってしまったかのように、感情が動かなくなっていたのです。
気持ちを表に出せない苦しさや、わかってもらえない寂しさが、
あの喘息という形で現れていたのかもしれません。
そうやって私は、「自分の気持ちを感じない」ことで
この環境を乗り越えようとしていたのかもしれません。
「愛」を教えられながら、
愛されないと感じていた中学生時代
中学生になる頃には、私の中にあった感情は、
少しずつ外にあふれ出すようになっていきました。
親に反抗しようとしていたわけではありません。
でも気づけば、学校では問題を起こしていた友達とつるむようになり、
授業を抜け出して校舎の外に出たり、他校の生徒と揉め事を起こしたりしていました。
先輩から校舎の裏でいじめを受けることもありました。
そのとき感じていたのは、抵抗することもできない無力感と諦めでした。
「親や先生には絶対にいじめられていることを知られてはいけない。」
「告げ口をしたと思われたらまたいじめられる。」
その時の恐怖、苦しさ、むなしさ、辛さ。
その感情を、私は母に怒りとしてぶつけることもありました。
本当はただ、気持ちを聞いてほしかった。
母に、こっちを向いてほしかった。
けれど母から返ってくる言葉はいつも、宗教で学んでいる本の言葉で、
「愛というのは、傷つけられても怒らないこと」
「愛とは、辛抱強いことなの」
「愛は、すべてのことに耐えることなのよ」
というものでした。
私は何度も、
「お母さんの気持ちは? 本当はどう思ってる?」
と問いかけました。
それでも返ってくるのは、母自身の言葉ではありませんでした。
自分の気持ちは、誰にもわかってもらえないと感じ、深く傷つきました。
そのとき私は、強く感じてしまったのです。
「自分は我慢できず、耐えることもできずに怒ってしまう」
「こんな私は、愛じゃない」
「だからもう、お母さんにも相手にされない」
「私は、誰にも愛されない存在なんだ」
と…。
そうして私の心は少しずつ閉ざされ、やがて歪んでいったのです。
期待に応えるほど孤独になり、
「自己犠牲」が正義になった高校時代
高校生になる頃、私はまた「いい子」に戻ろうと努力していきました。
自分のことを認めてくれた先生の存在があったからです。
その期待に応えたい。そう思い、私は一生懸命になっていきました。
クラスでは学級委員を引き受け、バスケットボール部ではキャプテンも務めました。
任された役割をきちんとこなすこと。周りの期待に応えること。
それが、自分の価値だと思っていたのです。
けれどその一方で、チームの中では、
「顧問と親密にして、自分だけ良い顔をしているのが気に食わない」とか、
「他の部活の部長とのつながりの方が、チームより大事なのか」
などと陰口を言われていました。
チームが練習しやすいように話し合っているということがわかってもらえず、
チームのみんなからは距離を取られていました。
それでも私は、
「自分が我慢することで、周りがうまくいくなら、それでいい」
「他の誰かがしんどい思いをするくらいなら、自分が嫌な役を引き受ければいい」
そう思っていました。
そうやって私は、「自分を後回しにする生き方」をさらに強めていきました。
そしてその頃の私は、
「周りに問題が起きないように、自分がすべてを調整すること」
「期待に応え、結果を出し続けること」
が自分の役割だと思い、
それこそが、人に対しての優しさであり、愛であり、
自分にとっての正しさだと、本気で信じていました。
心の奥にあったはずの違和感も、
そのときの私は、まったく感じることができていなかったのです。
本音を飲み込み ”いい社員” を演じて、
体が止まった私
社会人になり就職はしたものの、
「問題が起こらないこと」
「波風が立たないこと」を大切にしていた私は、
同僚との関わり方がわからず、
話すときには相手に合わせるような相槌ばかりを使い、
その場をやり過ごそうとしていました。
何か相談を受けても、相手が喜びそうな言葉を並べ、
自分の考えを伝えようとはしませんでした。
研修期間が終わり部署の希望を出すとき、
私は本当は事務職を希望していました。
けれど、入社当初から工場の人手が必要だと聞いていたこともあり、
「私が会社のために必要な社員にならないといけない」
「自分の希望を言ったら、迷惑になる」
そう思ってしまい、事務に行きたいとはどうしても言い出せませんでした。
そのまま自分の希望を伝えられないまま、
工場の部署に配置されることになってしまったのです。
その頃から私は、
言えなかった思いが溜まっていくように、口の中に炎症が起きはじめ、
少しずつしかご飯が食べられなくなりました。
体に力が入らず、心も不安定で、
体が重く、起き上がることもできなくなっていきました。
そしてある日、ついに体が動かなくなり、
職場に行くことができなくなりました。
そのまま私は、仕事を続けることができず、退社することになったのです。
相手が変わっても終わらない、自己犠牲の恋愛ループ
仕事で身についた「自分を後回しにする生き方」は、
恋愛でも、当たり前のように続いていきました。
相手の気持ちを察することが、気づけば当たり前になっていて、
何を求めているのかも、自然と感じ取っていました。
ふたりの時間が合わないときは、
自分の予定をキャンセルしてでも合わせていました。
自分の休みの日も、相手の用事に付き合い、苦手な早起きもしていました。
機嫌が悪そうなときは、怒っている原因に触れないように気をつけ、
「いつでもあなたの味方だよ」と思ってもらえるように振る舞っていました。
そうやって、相手の期待に応え、喜んでもらえることが、
そのまま私の喜びになっていったのです。
「自分ならこの人を幸せにできる」
そう信じていました。
けれどその一方で、
どこか満たされていない感覚があったのかもしれません。
ただそのときの私は、
その違和感に気づくこともできず、
ただ「疲れ」を感じるだけでした。
彼は、理由を言わないまま、突然不機嫌になることがよくありました。
そのたびに私は、
「自分が何か悪いことをしてしまったのかもしれない」と思い、
どうにかしなければと焦っていました。
機嫌をとろうとすればするほど、うまくいかない。
それでもやり方が悪いのは自分だと思い、必死になっていました。
けれどあるとき、
何事もなかったかのように、彼が楽しそうにしているのを見て、
「私のあの時間は何だったんだろう」
そう感じ、虚しさと同時に、怒りが込み上げてきたのです。
その繰り返しに、心も体も疲れ果て、
私は自分から別れを切り出しました。
けれどそのとき彼は、
「自分をわかってくれるのは、お前しかいないのに、
別れるんだったら、もう死ぬしかないと思う」
そう言いました。
その言葉に、私は強く揺さぶられ、
見捨てることができなくなってしまったのです。
同じことを、何度も繰り返していました。
そしてその関係を終えても、
次に付き合った人とも、また同じようなことが起こっていったのです。
相手が変わっても、
なぜか同じように不機嫌に振り回され、
同じように自分を責め、
同じように「どうにかしなければ」と必死になる。
そのたびに、心も体もすり減っていきました。
それでもそのときの私は、
「相手が悪い」と思うことはできず、
どこかでずっと、
「自分のやり方がいけないんだ」と思い続けていました。
相手が変わっても、苦しさは変わらなかったのです。
それでもまだ、その理由が自分ではわからずにいました。
犬と生きる道を選んだのに、
逃げた先でも自分からは逃れられなかった
その頃の私は、もう限界に近い状態でした。
相手の機嫌に振り回される中で、
「自分が関わることで、人は壊れてしまうかもしれない」
そんな極端な思いにまで、追い詰められていたのです。
「もし自分のせいで、誰かが本当に傷ついてしまったらどうしよう」
そんな恐怖が、心から離れなくなっていきました。
もうこれ以上、人と深く関わることはできない。
そう感じた私は、
人から離れることを選びました。
今思えば、それは“逃げ”だったのかもしれません。
けれどあのときの私は、
そうしなければ心がもたないところまで来ていたのです。
「人と関わらなければ、きっと傷つかずに済む」
そんな思いで、新しい道を探し始めました。
そのときの私は、
人と距離を置けば、楽になれると本気で信じていました。
幼い頃から犬が好きだった私は、犬と関わる仕事を探し始め、
ドッグトリマーを目指して専門学校に通いました。
学校ではたくさんの犬と出会い、
犬たちに触れるだけで心が緩み、
きれいになっていく姿に癒されました。
そして皆勤賞をもらい卒業することができました。
「自分にもできることがある」
そう感じることができた瞬間でした。
卒業後、トリミングサロンに就職が決まり、
働きはじめましたが、仕事内容はほぼ受付でした。
お客様はもちろん飼い主さんなので、
「人」との関わりがゼロになることはありませんでした。
予約や問い合わせの対応、クレームの対応など、
1日のほとんどをトリミング以外に使いました。
「人と関わらなくていいはずだったのに」
そう思いながらも、
また同じように気を遣い、神経をすり減らしている自分がいました。
環境を変えれば楽になれると思っていたのに、
苦しさは、形を変えて続いていたのです。
そんな中で、新店オープンのスタッフ募集を知りました。
それでもそのときの私は、
環境を変えれば、何かが変わると信じていました。
限界を超えても止まれなかった私に、過呼吸が襲った日
私はペットショップのオープンスタッフとして働き始めました。
トリミングの部署の立ち上げを任された私は
求められていることを敏感に察し、先へ先へと頭を働かせながら動き、
責任感を持って期待に応えていきました。
それが自然とできる自分は、周りから評価されるようになっていきました。
店のオーナーからはトリミングの部署のすべてを任され、
スタッフからは頼られ、
売上でも大きく貢献し、結果を出していきました。
「必要とされている」
そう感じられることが、何よりも嬉しかったのです。
自分が頑張ることで、周りがうまく回る。
自分が期待に応えることで、すべてがうまくいく。
それが、自分の役割だと信じていました。
けれどその裏で、私はずっと自分の気持ちを後回しにし続けていたのです。
店長からは売上がもっと上がるように新メニューを作るように指示され、
お客様からは「どうしても早く予約を取りたい」と強く求められ、
スタッフからは「忙しすぎて体力的に厳しい」と改善を頼まれる。
私はそれぞれの想いに、必死に応えようとしていました。
お店がうまくいくように。
みんなが不満を感じないように。
スタッフの負担が少しでも減るように。
気づけば、できることはすべて自分が背負っていました。
それが当たり前だと思っていたし、
それが自分の役割だとも思っていました。
どれだけ忙しくても、どれだけ大変でも、
「自分がやればいい」
そうやって、走り続けていたのです。
けれどある時、体に異変が起き始めました。
朝、店に出勤し予約表を見ると、
突然、鼓動が早くなり、
頭がしびれるような感覚とともに、締め付けられていくような苦しさに襲われました。
体がこわばり、手足が震え始めます。
私は受付カウンターの影に隠れるようにしゃがみ込みました。
「このままでは仕事ができなくなる」
「自分がいないと回らなくなる」
そんな焦りが頭の中を巡り、
恐怖と不安が一気に押し寄せてきました。
気づけば、息がうまく吸えなくなっていました。
息苦しさはどんどん強くなり、目の前が真っ暗になっていく。
それは、過呼吸でした。
呼吸が少し落ち着いてきても、
動悸はなかなかおさまりませんでした。
それでも私は、
「まだ大丈夫」
「これくらいなら続けられる」
そう自分に言い聞かせていました。
他のスタッフに心配かけてはいけないと思い、
体調の悪さを気づかれないようにしながら、どうにか仕事に戻りました。
けれど頭の中では、
「またあんな状態になったらどうしよう」という恐怖と不安が、
ぐるぐると回り続けていました。
そのとき初めて、
私は「自分が壊れかけている」ことに気づきました。
私は、もう限界だったのです。
そしてようやく、病院へ行くことになりました。
診察の結果、私は「パニック症」と診断されました。
ようやく理由がわかったはずなのに、
なぜかほっとすることはありませんでした。
むしろ、これからどうなってしまうのかという不安が、広がっていったのです。
パニック発作の恐怖に支配されながらも 、
「大丈夫」と言い聞かせ続けていた私
病院に通うようになっても、状況はすぐに良くなることはありませんでした。
むしろ心の中には、別の不安が大きくなっていきました。
「このまま治らなかったらどうしよう」
そんな思いが、常に頭のどこかにある。
そしてもうひとつの恐怖は、
「いつ発作が起こるかわからない」ということでした。
何もない時でも、ふとした瞬間に不安がよぎる。
すると、
「またあれが起きるかもしれない」
そう思っただけで、体が反応してしまうのです。
原因もわからない。どうすればいいのかもわからない。
その恐怖は、想像以上のものでした。
けれどその一方で、私はどこかでこう思い続けていました。
「自分は大丈夫」
「こんなはずはない」
私は、大丈夫ではないと認めてしまったら、
本当に自分が壊れてしまう気がして、
どうしても受け入れることができませんでした。
心も体も限界に近づいているのに、
それでも私は、
「大丈夫な自分」でいようとし続けていたのです。
「薬でも良くならない」――
限界の私がすがった”最後の選択”
心療内科に通い投薬治療を始めた私は、
持病の腰痛が悪化してきたこともあり、整骨院にも通っていました。
そんなある日、ふとこんなことを言われたのです。
「この腰の痛み、もしかすると心の状態と繋がっているかもしれませんね」
その言葉を聞いたとき、
これまでにない感覚が、私の中に生まれました。
「もしかして――
この苦しみや痛みは、外側じゃなくて、
自分の中にあるものなのかもしれない」
それは、初めて自分の“内側”に目を向けた瞬間でした。
けれど現実は、すぐには変わりませんでした。
整骨院に通っても痛みは変わらない。
薬を飲んでも、心の苦しみは軽くならない。
ただ毎日を、どうにか乗り切ることで精一杯の日々でした。
そんな中で私は、
「”魂”の声」を聴いてくださって
癒すことができる人の存在を知りました。
ここでいう“魂”とは、
頭で考えている自分ではなく、
自分のいちばん奥にある「本質」の部分のこと。
そして“魂の声”とは、
普段は気づけないまま、
心の奥に置き去りにしてきた、
自分の本質の想いや感覚のことでした。
正直、戸惑いもありました。
でもそのときの私は、
もう他に頼れるものがなかったのです。
「誰かにわかってほしい」
「もうどうしたらいいのかわからない」
「この苦しさや痛みから抜け出したい」
「もう一人では抱えきれない」
「助けてほしい」
その一心で、セッションを申し込みました。
「本当は助けてほしかった」――
その一言で、信じてきた思考は崩れた
セッションでは、「魂の声」を聴かせていただきました。
そのとき初めて、
今の自分がどんな状態にいるのかを、はっきりと知りました。
そして同時に――
これまで抱えてきた苦しさには、
すべて理由があったことにも気づいたのです。
私はずっと、
「我慢しなければならない」
「相手を優先するのが正しい」
「自分の気持ちは後回しにするべき」
そんな思い込みの中で、
それが ”正しい” 自分だと信じて、
自分を押し込めて生きてきました。
感情を抑え続け、心も体も壊れかけていたのに、
それすら感じないようにして、
「大丈夫」と自分に言い聞かせ続けていたのです。
そんな私の奥にあったのは――
『本当は、助けてほしかった』
それは、言葉にならないほどの、
叫びのような想いでした。
その気持ちに触れた瞬間、
胸がぎゅっと締め付けられ、
喉の奥が詰まり、
気づけば涙があふれて止まらなくなっていました。
うまく言葉にすることもできず、
ただ、その感情の中に立ち尽くしていました。
そのとき私は、
さらに衝撃的なことに気づきます。
それは――
「自分が正しいと思ってきた生き方が、
本当の自分の望みとは真逆だった」
ということでした。
自分にいつも「大丈夫」と言い聞かせてきたその奥で、
本当はずっと「怖い」と感じていた。
「人のため」と思っていた行動が、
自分をすり減らし、苦しんでいた。
本当の自分を出したら、
愛されなくなると、どこかで信じ込んでいた。
その一つひとつが、
魂との大きなズレでした。
魂が伝えてくれたのは、
「もう頑張り続けなくていい」
「すべての期待に応えなくていい」
「自分を大切にしていい」
「自分を愛し、ありのままに生きることが私の幸せ」
という、本当の自分の声でした。
そのとき、
これまで信じてきたものが、
静かに崩れていくのを感じました。
「愛=我慢」は、
私を守るために身につけた、ひとつの鎧だったのだと。
「愛=我慢」を終わらせ、本当の愛に気づいた時
人生は静かに、でも確かに整いはじめた
セッションを通して、
自分の思いや考えを丁寧に聞いてもらい、
ありのままの自分を受け入れてもらえたことで、
初めて――
安心して、自分の内側に目を向けられるようになりました。
私は「魂」について、「愛」について、
そして「心の仕組み」についての学びを深めていきました。
「本質の想い」や「魂の声」を聴き、
自分を知り、受け入れていく中で、
自分を犠牲にすることが愛だと信じてきた生き方を、
静かに手放していけたのです。
そして、本来の自分のままで生きるという感覚を、
少しずつ取り戻していきました。
何より――
これらはすべて、
自分一人では気づくことができなかったものでした。
私は今、
相手の機嫌に振り回されることもなくなり、
頭の中が静かで、不安に飲み込まれることもありません。
心が整っていくのと同時に、
長く悩まされていた腰の痛みも、少しずつやわらいでいきました。
心から湧き上がる感情や感覚を大切にしながら、
自分らしく自由に生きられるようになりました。
そして今では、
誰かに頼りたいとき、
素直に「助けて」と言えるようになりました。
思考を手放したとき、
初めて体の力がふっと抜けていく感覚を知りました。
そのとき感じたのは、
言葉にできないほどの深い安心感でした。
心は以前よりもずっと穏やかで、
「これでいい」と感じられる安心感の中で
幸せを感じながら、自分を生きています。
自分の中にある”愛”に気づき、
その愛に満たされているのを感じています。
気づけば、私の人生は、
静かに変わりはじめていました。
私は「愛=我慢」を終わらせました。
だからこそ今――
かつての私のように、生きづらさを抱えている方が、
本来の自分を取り戻していくその過程に、
寄り添っていきたいと思っています。
それが私の使命です。
心からの笑顔で生きる人と共鳴し、
喜びや幸せを分かち合いながら、共に生きていくこと。
それが、今の私の願いです。
あなたが”あなたのまま”で生きるために――
その一歩に寄り添います
もしあのとき、
「助けて」と言えていなかったら。
自分の心と向き合うことをしていなかったら。
今の私は、きっといません。
あの頃の私は、
自分のことを後回しにする生き方しか知りませんでした。
でも今は、
自分の感覚を大切にして生きることで、
こんなにも穏やかで満たされた毎日があることを知りました。
だからこそ、伝えたいのです。
「助けて」と言っていい。
一人で抱え続けなくていい。
かつての私のように、
自分よりも他人を優先し、
理由のわからない不安や空虚感に苦しんでいる方へ。
あなたが、あなたのままで、
安心して生きられるように。
その一歩を、
一人で頑張らなくて大丈夫です。
もし今、少しでも心が動いたのなら、
その感覚を大切にしてあげてください。
そして――
もし今、同じように苦しさを抱えているなら。
その苦しさには、理由があります。
そして、あなたの中にも、
まだ気づいていない“本当の想い”があります。
大切なのは、
「生きづらい」と感じている、その感覚です。
その自分の感覚に、そっと寄り添うことから、
すべては静かに変わり始めます。
あなたが一歩踏み出し、
「自分自身を生きる」その歩みに、
カウンセリングセッションを通して
ご一緒できることを、
心より願っています。
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