「大好きな人のために、私がちょっと我慢すれば丸く収まる」
「相手を優先することが、本当の優しさであり、愛なんだ」
そんなふうに自分を後回しにしながら、一生懸命だれかを愛そうとしていませんか?

もし今、あなたが人間関係や恋愛の中でどこか息苦しさや生きづらさを感じているなら、一度立ち止まって、自分自身にそっと問いかけてみてほしいのです。
「愛することは、我慢すること」
本当に、そうでしょうか?
愛することと、我慢することは「別物」
まず結論からお伝えすると、「愛すること」と「我慢すること」は、まったくの別物だと、私は思っています。
大切な人を想うあまり、「私が我慢すればうまくいく」「相手を笑顔にするためなら、自分の気持ちを抑えるのは当たり前」と、自分を後回しにし続けてはいませんか?
愛とは本来、お互いの存在をそのまま受け入れ、心が満たされていく温かいエネルギーです。
一方で、我慢はすればするほど自分の心がすり減り、エネルギーが枯渇していきます。
あなたが誰かを想って重ねてきたその我慢は、実は純粋な「愛」から生まれたものではなく、あなたの心が必死に自分を守ろうとしていたサインなのかもしれません。
「我慢」の裏側に隠された「恐れ」の気持ち
なぜなら、我慢は愛から生まれるものではなく、「大切な人を失いたくない」という恐れから生まれるものだからです。
「自分の本当の気持ちを伝えたら、嫌われてしまうかもしれない」
「わがままを言ったら、相手に見捨てられてしまうかもしれない」
「期待に応えないと、愛されなくなってしまうかもしれない」
本当は悲しかったり、嫌だったり、限界を感じていたりするのに、その「恐れ」が強すぎるあまり、自分の気持ちにフタをして相手を優先してしまう。
それは愛ではなく、「見捨てられることへの恐怖」から自分を守るための防衛策だったりします。
かつての私も、我慢することで自分を守っていました
かつての私も、まったく同じでした。
「本当の気持ちを言ったら、この人は私の元から去ってしまうんじゃないか」
「愛されなくなるのが怖いから、私が我慢して笑っていよう」
そうやって、自分の心の声を無視し続けていたのです。
でも、自分の気持ちを殺して成り立つ関係の中に、本当の安心感や温かい循環はありませんでした。
まずは自分自身の「心」を満たすことから
相手を愛することと、自分の心をすり減らす「自己犠牲」は違います。
自分の気持ちを大切にできないまま誰かを愛そうとすることは、バッテリーが1%しかないスマホで、誰かに電力を分けてあげようとするようなもの。
まずは自分の充電器(心)をコンセントにつないで100%に満たしてあげないと、誰かと温かくつながり続けることはできないのです。
だからこそ、もう一度お伝えさせてください。
「愛すること=我慢すること」ではないと私は思います。
ここまで読んでくださったあなたの中に、どんな気持ちが浮かんでいますか?
答えは、他の誰でもない、あなたの中に必ずあります。
今まで「我慢することが正しい」と信じて頑張ってきた自分を、まずは「よく耐えてきたね」と優しく抱きしめてあげてください。
あなたが自分の本当の気持ちを大切にできたとき、我慢の上に成り立つ関係ではなく、お互いを尊重し合える新しい愛のカタチが見えてくるはずですよ。
胸の奥に浮かんだその思い、大切にしてみませんか?
「本当の気持ち、誰かに話してみてもいいのかな」
「私の場合って、どうなんだろう……」
もし記事を読みながら、そんな思いが小さな泡のように胸の奥から浮かんできたなら、それはあなたの心が「自分の声を聞いてほしい」と出し始めた大切なサインかもしれません。
長年「我慢すること」を当たり前だと思って頑張ってきた人ほど、いざ自分の気持ちを言葉にしようとすると、どう話せばいいのか分からなくなってしまうものです。まとまっていなくても、うまく説明できなくても大丈夫。あなたのペースで、そのままの言葉で話していただける場所を準備してお待ちしています。
少しでも「話してみたい」「自分の心と向き合ってみたい」と感じた方は、まずは一度お試しセッションであなたの声を聴かせてくださいね。
あなたの心が少しでも軽くなるお手伝いができたら嬉しいです。
